必ずしも卒業が目的ではない通信制高校

通信制高校に籍を置いていたことがあります。最初は卒業が目的でしたが、高校卒業程度認定試験(旧大検)の存在を知り、最終的にこちらを取得したため、退学しました。高認では、高校で取得した単位を使って特定の科目を免除できる制度があるので、苦手な科目のみをあらかじめ通信制高校で単位を取得し、自信のある科目は高認の試験を受けて合格しました。
インターナショナルスクールとは、国際バカロレア資格を持つような国際的な教育を行なっている学校や、所在する国や地域における外国人を対象にした教育を行っている学校のことです。日本ではインターナショナルスクールとして認識されている施設では、一部は都道府県知事の許可を受けていますが、ほとんどは無認可校になっているようです。
 落語家の立川談志さん(75)が体調不良のため、7月までに予定していた四つの落語会への出演をすべて取りやめることが7日、分かった。談志さんは3月21日にストレス性胃潰瘍で一時入院。その後は自宅療養していたが、検査と治療に専念することになった。所属事務所によると、秋ごろの高座復帰を目指しているという。 

 防衛省防衛研究所は東アジアの安全保障情勢を分析した年次報告書「東アジア戦略概観2011」と、中国に限った報告書「中国安全保障レポート」をまとめた。

 中国情勢に絞った報告書の公表は初めて。7日から同研究所のホームページで閲覧できる。

 レポートは、最近の中国軍の動向について「領有権問題への軍事的威嚇の意図があるという懸念が周辺国に生じている」と指摘。中国海軍の活動範囲の拡大、空軍戦闘機の性能向上で、「海・空域で自衛隊と中国軍の間で『不測の事態』が発生する可能性は否定できない」と偶発的衝突の危険性に言及した。

 戦略概観は、北朝鮮が昨年、延坪島砲撃などで韓国に相次いで攻撃を仕掛けた狙いについて、「金正日体制の正統性補強」と分析した。

 28歳の僧侶が、震災でがれきと化した街で鈴を鳴らし、お経を唱えつつ歩いている。「一見、がれきに見えても、被災者にとっては一つ一つ思い入れのあるものです」。倒壊した家屋に静かに手を合わせる。

 盛岡市の石雲禅(せきうんぜん)寺副住職、小原宗鑑(そうかん)さん。托鉢(たくはつ)修行でたびたび訪れ、世話になった土地が無残に荒廃したさまを新聞やテレビで見た。2日に岩手県宮古市を訪れたのを皮切りに、死者の冥福と行方不明者の早期発見を祈りながら歩き続けている。遺族の要望があれば、無料でお経を唱えるつもりだ。【山川淳平】

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 東日本大震災による津波に襲われた宮城県女川町の山あいの地区に、かろうじて1階だけの被害にとどまった民家で「2階避難生活」を送っている被災者が20人ほどいる。持病があり避難所での生活が困難▽防犯のためなど理由はさまざま。町の復興はおろか、仮設住宅へ入れる見通しも立たぬ中、この地で暮らしていけるのか、心揺れる日々が続く。

【被災地の表情を写真で】

 約120世帯、300人が暮らしていた同町女川浜日蕨(ひわらび)とその周辺。津波は、約2キロ離れた女川湾から女川に沿って駆け上がり、自治会長の青砥(あおと)祐信(すけのぶ)さん(69)によると、自治会で生存が確認できたのは約80人。4週間近くたった今も、水産物が放つ腐敗臭の中で行方不明者捜索が続く。

 津波による浸水が、1階部分だけで済んだ民家は上流部分の10戸ほど。その半数で、約20人が暮らしている。電気、ガス、水道は無く、どこも軒先で火をおこし、煮炊きをする生活だ。

 新聞販売店従業員、遠藤裕子さん(54)は築30年の木造住宅2階の8畳間で、地震発生直後に避難してきた友人家族と8人で生活している。身を寄せた小田島真由美さん(45)はぜんそく、その長女綾花さん(21)が震災の約1カ月前に凜花ちゃんを出産したばかりで、大勢がいる避難所には行けなかったという。

 灯油ストーブで部屋を暖め、マスクをして注意していたが、真由美さんはぜんそくが悪化して一時入院。凜花ちゃんも気管支炎で通院した。それでも真由美さんは「せっかくつないだ命。助からなかった人の分もたくましく生きたい」と前向きに話す。

 流れてきた漁業用のプラスチックケース(縦1メートル、横2メートル)をベビーサークル代わりに軒先に置いた。散乱するガラスを踏まないためだ。中では綾花さんの長男拓人君(2)が元気に遊ぶ。

 近所に住んでいたおじが津波にのまれ行方不明のままの植木敬太さん(26)は自宅2階に寝泊まりしている。町内の避難所にいる船員、父玉雄さん(60)が「被災住宅から衣類、鍋や釜までとられると聞く」と、用心のため住まわせたからだ。玉雄さんも「仮設住宅に入居できなければ、自宅しかない」と昼は戻り、がれきが入り込んだ1階の片づけを続ける。しかし、先の暮らしを尋ねると、「見えない……」とうつむいた。

 「何もかも無くなった人のことを思えばましな方」と、妻、息子と自宅2階に住む鈴木正祐さん(66)は、集めた廃材で屋外にトイレを作った。「水産業の女川町が復興するには10年以上かかるのではないか。別の土地に家を借りて暮らそうか」。思い悩んでいる。【土本匡孝】


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